田宮流講習会

先日、秋の田宮流の講習会を開催した。今回の講習会のテーマは、型と形の意味を認識し、型の持つ本質的な意味を考え、理解することであった。

形とは目に見える外見上の姿、かたち

型とは流祖、先人が工夫の末に確立し、会得した技を伝承するために考察された形態であり、

後の人間がこの型を踏襲することで、上達を目指す、優れた伝承方法である  と定義した。

つまり、流祖、先人の域の近づく合理的な方法が型稽古の本質である。

一方、型稽古に常に付きまとう批判が、「形骸化」である。 先人たちはこの形骸化を避けるため、防具、竹刀を使っての地稽古や乱取りといった稽古方法を編み出してきた歴史があり、現代武道の隆盛につながっている。

しかし、我々古武道を修行するものは、古武道の型を継承することにより上達を目指している。

特に居合においては、想定の敵に対する型であり、どうしても一人よがりな技になりがちである。よって当道場では設対者を付けて稽古をしたりして、これを克服する方法をとってきたが、この想定の敵とは何かという難しい問題に直面してきた。 いろいろ考えたり、この問題について論じた文章を読んだりした結果、想定とは攻防のシュミレ-ションではなく、型の本質を導き出すための仮のスト-リ-ではないかという考えも持つに至っている。このように考えれば、想定はいくつもあり、修行者のレベルにより、想定が変化することも考えられる。つまり想定とは後付け敵なものであり、より柔軟に理解すべきである。

それではこの型の持つ本質とはなにか、解りやすくいえば伝承された型は、なんのために伝承されたのかの理解なくして、型稽古での上達は望めない。

今回の講習会においては、田宮流表の巻11本について、それぞれの型の本質とは何かを理解し、流派としての合意内容としていきたと試みた。

しかし今回の講習会での内容は、ほんのさわり程度のことであり、さらに型の持つ意味、本質について、研鑽をしていきたいと思っている。

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