日本刀

居合という武道の特性は、稽古に真剣を使用することである。日本の武術は日本刀が中心と考えられる。剣術はもとより、柔術や槍術、長刀、杖術なども、剣を持った敵を想定して組太刀や型ができている。しかし、竹刀剣道は竹刀を持って打ち合う稽古であり、古流武術も通常は木刀や袋竹刀を用いて稽古をしている。 一方居合は抜付けが勝負のため、日本刀を使用して抜付けの稽古をしなければ意味をなさない。竹刀や木刀とは重さや反りや手の内の感覚が全く異なるためである。 そのためと思われるが、林崎流の源流においては設対者を付けていた稽古が、真剣を使用するため、現在は想定の敵を斬る稽古が主流となっている。

日本刀は武器である。美術品としての価値の高い刀も多く、最も美しい武器ともいわれている。

かつて侍は日本刀を 「武士の魂」と言い、畏敬の念をもって日本刀の接していた。居合においても稽古の始めと終わりに必ず刀礼を行うことになっている。 とはいえあくまで武器である以上、武道家はこれを自在に使いこなさなければならない。武器である日本刀を自在に使いこなすという感覚は、日本刀に畏敬の念をもって接するという感覚とときに矛盾するようにも思われる。

先日試斬会を行ったが、いつも試し斬りを行っている戸山流の方は、日本刀を道具として使うという感覚が優れていると感じた。それは日本刀がより身近の存在であり、古流のみを行っている居合道家に比べ刀のとの距離が近いように思われた。

武道を稽古する以上、そして日本刀が武道の中心である以上これを道具として自在に使いこなさなければならない。その延長上に日本刀に対して、愛着と畏敬に念を持つことが理想であると思う。

 

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